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橋口絵里奈さんが死去!経歴と学歴!リクルートから市議へ!

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橋口絵里奈さんが44歳の若さでこの世を去ったというニュース、驚いた人も多いですよね。
乳がんと闘いながらも、彼女は自ら立ち上げたNPO「スマイルハート」でがん患者さんを支え、2023年には福岡市議にも初当選したばかりでした。

「リクルート出身のバリキャリ女性が、どうして政治家に?」
「がん患者なのに、どうしてあんなに笑っていられたの?」

そんな疑問を持ったあなたへ。この記事では、橋口さんの学歴・経歴から、がんとの闘い、NPO設立、そして市議としての活動まで、彼女の“44年の人生の軌跡”を丁寧にまとめました。


この記事でわかることはこんな内容です👇
・橋口絵里奈さんの死去とその背景
・福岡大学卒のキャリアとリクルート時代の話
・NPOスマイルハートの立ち上げと活動内容
・福岡市議としての実績や想い
・noteなどSNSで見せた本音と人柄

明るく前向きに生き抜いた彼女の姿は、きっと誰かの心に届くはず。
さっそく本編で、彼女の歩んだ道をたどってみませんか?

目次
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橋口絵里奈さんが死去!その知らせと世間の反応

乳がんとの長い闘病を経て、福岡市議・橋口絵里奈さんが2025年3月29日に自宅で息を引き取りました。
この知らせは、ネットやSNSを中心に多くの人に驚きと悲しみを与えています。

橋口さんの突然の訃報は、ただの政治家ではなく“がん患者支援の希望の星”として多くの人に影響を与えていた彼女だからこそ、多くの人が心を動かされたのだと思います。
この記事では、そんな橋口絵里奈さんが歩んだ人生、そして残してくれたメッセージについて深掘りしていきます。


急逝の理由は乳がん…亡くなった日時と場所

橋口絵里奈さんが亡くなったのは、2025年3月29日、場所は福岡市早良区にあるご自宅でした。
死因は乳がん。闘病しながらも前向きな発信を続けていた橋口さんだけに、その知らせに驚いた人は本当に多かったです。

実は彼女、2015年にリクルート勤務中に乳がんが発覚していて、両側全摘を含む治療を受けながらも、ずっと活動を止めずに続けてきた方なんです。
その後、がん患者支援のNPO法人「スマイルハート」を立ち上げたり、福岡市議選で当選したりと、どんな状況でも前を向いて行動する姿が印象的でした。

44歳という若さでの訃報は、やはり衝撃が大きく、SNSでは「信じられない」「強くて素敵な人だった」といった声が溢れていました。
実際、今年の1月頃からは体調不良で公務を欠席していたとのことで、彼女の身体はかなり厳しい状態だったのかもしれません。

このニュースに触れた多くの人が、彼女の強さや明るさに改めて感謝の気持ちを抱いているようです。

SNSやネット上の反応「信じられない…」の声続々

橋口絵里奈さんの訃報が伝えられた直後、SNSでは悲しみと驚きの声が一気に広がりました。
「信じられない」「まだ若すぎる」「すごく前向きな人だったのに」――そんな言葉がタイムラインにあふれ、彼女の存在の大きさを改めて実感させられました。

橋口さんは、自身のnoteやYouTube、インスタグラムなどで“闘病生活を明るく発信”し続けていたので、フォロワーや支援者からすれば突然の出来事だったんですよね。
とくに「がんでも笑って生きよう」という姿勢は、多くのがん患者さんやその家族に希望を与えていたんです。

「自分もがん経験者だけど、橋口さんの言葉に何度も救われた」
「前向きで、いつも元気をくれた存在だった」
「笑顔の裏に、どれだけの努力と痛みがあったんだろう…」

といったリプライやコメントが続々と投稿され、悲しみだけでなく“ありがとう”の気持ちが溢れていました。
それだけ、彼女はただの市議ではなく、多くの人の“心の支え”だったんだなと感じます。

では、そんな橋口絵里奈さんは、一体どんな人生を歩んできたのでしょうか?

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経歴と学歴とリクルートから市議へ、44年の軌跡

橋口絵里奈さんの人生は、がんに立ち向かいながらも“自分らしさ”を貫いた生き方でした。
華やかな経歴の裏には、努力と情熱、そして数々の転機が詰まっています。ここでは、彼女の学歴・職歴、人生の転機になった出来事を振り返ります。


福岡大学卒業後、美容部員とリクルート時代

橋口絵里奈さんは、福岡市出身で福岡大学を卒業しています。
大学卒業後は、美容部員として4年間働いたあと、大手企業リクルートに転職。11年間在籍し、営業職としてバリバリ働いていたそうです。

もともと“仕事に対してものすごく真面目”で、成果に対してストイックな一面があったようで、noteでも「私は仕事にはかなり厳しい」と自ら語っていました。
その一方で、「元リクルートだから信頼されやすい」と言われることにも複雑な気持ちを抱きながら、誠実にキャリアを積み上げていったそうです。

実は、がんが発覚したのもこのリクルート時代。
離婚直後で「よし!人生やり直すぞ」と思っていた矢先に、検診で両側の乳がんが見つかったというのです。
まさに人生の急展開…でも、彼女はそこで止まりませんでした。

治療しながらも、当時の自分を「ウィッグで毎日おしゃれして合コン三昧w」と笑い飛ばすほど、明るく前向きに生きていたのが印象的です。

そんな強くて明るい橋口さんの本領が発揮されるのは、次に紹介する「NPO法人スマイルハート」の設立からなんですよ✨

がんを経験しNPOを設立、人生の大きな転機

橋口絵里奈さんの人生を大きく変えたのは、やっぱり「乳がん」との出会いでした。
2015年に乳がんが発覚し、両側全摘の手術を受けた橋口さんは、その経験を経て、自分と同じような境遇にいる人たちを支えたいと思うようになります。

そこから生まれたのが、がん患者さん支援のNPO法人「スマイルハート」。
2020年に設立されたこの団体は、オンラインカフェ会や美容支援、就労サポートなど、がん患者さんが“笑顔で生きられる居場所”を提供する活動を中心に展開していました。

橋口さん自身、「がん患者はアイドル」とまで語っていて、病気を特別視せずに「自分らしく生きること」を何よりも大事にしていたんです。
そして、このNPO活動では多くの人たちと交流し、支援の輪がどんどん広がっていきました。

特に印象的だったのは、「ネイルチップをがん患者さんに届けたい」という企画や、「スマイルハート宿屋」と名付けた、疲れた心を休めるオンラインスペースの開設など、細やかな心遣いが伝わる取り組みの数々です。

“ただの支援団体”じゃなくて、“心の拠り所”をつくる存在だったんですよね。

福岡市議会議員に初当選!活動内容と実績

橋口絵里奈さんが福岡市議会議員選挙に出馬したのは2023年4月。
日本維新の会から立候補し、見事初当選を果たしました。
彼女は、NPOでの経験を活かして“がん患者の声を行政に届けたい”という強い思いから、政治の世界に飛び込んだんです。

当選後は、総務財政委員会の委員や、少子・高齢化対策特別委員会の運営理事を務めるなど、積極的に市政に関わっていました。
SNSやnoteでも日々の議会活動を発信していて、すごく透明感のある議員という印象がありましたね。

市民との距離感もすごく近くて、がん患者やその家族からの相談にも丁寧に応じる姿勢が、多くの共感を呼んでいました。
「患者目線で動いてくれる市議」として、地域でも信頼されていたそうです。

ただ、2025年に入ってからは体調不良が続き、1月以降は本会議や委員会を欠席していたとのこと。
それでも、最後まで「笑顔を絶やさず、やれることをやり切る」姿勢を崩さなかったのが、橋口さんらしいなと感じます。

そんな彼女の生き方は、政治家としてだけでなく、人としても多くの人の心に刻まれました。

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プライベートと人柄が分かるエピソードまとめ

橋口絵里奈さんの魅力は、仕事や肩書きだけじゃありません。
一番人の心をつかんでいたのは、ユーモアと人間味あふれる“人柄”でした。noteなどで発信していたエピソードの中には、笑いあり、涙ありのリアルな彼女が詰まっていました。

ここでは、そんな彼女のプライベートや人となりが伝わるエピソードを紹介します。
ガンに直面した時の心境や、どこまでも明るく生きようとした姿勢に注目してみてください。


離婚とがん告知、人生のリスタートの瞬間

橋口さんが「乳がん」と診断されたのは、離婚して新生活を始めてすぐのタイミングでした。
noteではそのときのことを「よ〜し!これからだ!って思ってたら、突然のどん底スタート」と笑いながら振り返っています。

検診に行ったのは「1人の人生になったし、そろそろ健康診断くらい行っとくか」っていう軽い気持ちだったそう。
そこでまさかのステージⅡの乳がんが見つかり、両胸の全摘手術・抗がん剤治療と一気に過酷な現実へ…。でも、そこで橋口さんはただ落ち込むだけじゃなかったんです。

治療中も「人生で一番おしゃれだった」と言いながら、金髪や清楚系ウィッグを使い分けて、おしゃれと笑いで乗り切っていたとのこと。
「モテ期だったかも(笑)」なんて軽やかに話す姿に、多くの人が励まされました。

「無理しないスタイルを貫く」と宣言していた彼女。
noteでもプライベートについて「話さないことが私らしさ」だと語っていて、そのぶん自分が心地よく生きることを大切にしていたんですね。

オープンな性格と発信力が共感を呼んだ理由

橋口絵里奈さんが多くの人に愛された理由のひとつが、「オープンな発信」と「自分らしさへのこだわり」でした。
noteやインスタ、YouTubeなどを通じて、自分の闘病経験や気持ち、時には本音まで包み隠さず伝えていたんです。

たとえば、がんにかかった時の不安や孤独、再婚への迷いや家庭への憧れなど――
それらを“重くなりすぎない言葉”で、明るく、時にユーモアたっぷりに語っていたのが印象的でした。

「がんでも人生は楽しめる」
「自分の心地よさを優先する」
「無理しない、媚びない、でも繋がりは大切にする」

そんな言葉が彼女の発信にはたくさん詰まっていて、読んだ人の心をふわっと軽くしてくれるんですよね。

がん患者支援というと、どうしても“支援される側”として語られがちなんですが、橋口さんは“対等に、共に歩む存在”として患者さんたちに寄り添っていました。
それが「応援したい!」と感じさせる原動力になっていたんだと思います。

そして、明るいだけじゃなく、必要な時には毅然とした姿勢も持っていて、甘えや依存に対してはしっかり線引きをしていました。
その“芯の強さ”も、彼女が信頼されていた理由のひとつです。

ではいよいよ次は、そんな橋口さんが遺してくれた“行動”に注目します。
彼女のNPO活動が社会にどんなインパクトを与えたのか、見ていきましょう👇

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橋口絵里奈さんの活動が残した影響と未来へ

橋口絵里奈さんが築いてきたのは、ただの“活動”ではなく、“誰かの人生に光を差す場所”でした。
その代表例が、彼女が立ち上げたNPO法人「スマイルハート」。
がん患者さんの孤独や不安に寄り添い、「笑って生きる」という希望を届け続けた団体です。

ここでは、スマイルハートがどんな活動をしてきたのか、そしてその想いがどのように未来へつながっていくのかを紹介していきます。


NPO「スマイルハート」の活動と支援内容

橋口さんが2020年に立ち上げたNPO法人「スマイルハート」は、「がん患者が笑顔で生きられる社会」をテーマに活動してきました。
その内容は本当に多岐にわたっていて、ただの患者支援を超えた“人生サポート”といえるレベルです。

たとえば、毎月開催されていた「オンラインカフェ会」。
がん患者さん同士が顔を合わせ、悩みを話し、笑って過ごせる時間を提供するこのイベントは、全国から参加者が集まる人気企画でした。

ほかにも、「ネイルチップ支援」や「美容支援」、「キャリアカウンセリング」など、“外見”と“未来”を支えるサポートが充実。
しかも、LINEのオープンチャットやオンライン配信など、デジタルツールも積極的に取り入れていて、時代に合った支援のかたちを実現していました。

中でも印象的なのが、「がんに負けず、私らしく生きる」という橋口さんの信念。
それがすべての活動に表れていて、団体の雰囲気もあたたかく、参加者からは「ここに来ると元気が出る」と大好評だったそうです。

これから橋口さんは直接発信することはできなくなってしまいましたが、スマイルハートの活動は、きっと彼女の想いを受け継ぎながら続いていくはずです。

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今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。

・橋口絵里奈さんは乳がんのため44歳で死去
・福岡大学卒業後、美容部員→リクルート勤務を経てNPO法人を設立
・がん患者支援を通じて多くの人に希望を与えてきた
・福岡市議に初当選し、市政でも活躍
・noteやSNSを通じて、明るくオープンな発信が共感を呼んだ
・NPO「スマイルハート」は心の居場所として全国に支援を届けた

橋口さんの人生は、どんな困難に直面しても「自分らしく生きる」ことを大切にした、強くて優しい道のりでしたね。
“ただ頑張る”だけじゃなく、“笑って頑張る”その姿勢は、多くの人の背中を押してくれたと思います。

この記事を読んで、「がんになっても人生は終わらない」「今できることをやろう」って思ってもらえたらうれしいです。
橋口絵里奈さんの生き方は、これからもたくさんの人の心に残り続けるはずです✨

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