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小松暢の経歴と学歴!やなせたかしの妻の再婚や職歴や馴れ初めも紹介!

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「アンパンマンの作者・やなせたかしさんの奥さんって、どんな人だったの?」
そう思ったことがある人、多いんじゃないでしょうか?
この記事では、2025年の朝ドラ『あんぱん』のヒロインのモデルとして注目されている小松暢さんについて、学歴・経歴から再婚のエピソード、そして夫婦の深い絆までたっぷり紹介します!

読めば読むほど「この人、めちゃくちゃカッコいい…!」ってなるはず。
アンパンマンの“正義の心”がどこから来たのか、その裏側にあるリアルな夫婦の物語を一緒にのぞいてみましょう!


この記事でわかること

・小松暢さんの出身地や学歴、学生時代の様子
・新聞記者から代議士秘書という意外なキャリア
・最初の夫との死別と、やなせたかしさんとの再婚までのストーリー
・「アンパンマンはふたりの子ども」名言に込められた夫婦の想い
・2025年朝ドラ『あんぱん』で描かれる実話のモデル

目次
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小松暢の経歴と学歴|阿部野高等女学校から新聞記者へ

小松暢さんの歩んだ人生は、まさに戦後を力強く生き抜いた“昭和のカッコいい女性”って感じなんです。
彼女の学歴や職歴はもちろん、その時代を生きる女性としては珍しいキャリアを築いていて驚きの連続。
まずは、小松さんがどんな家庭で育ち、どんな学生生活を送り、どんな仕事に就いたのか…順を追ってご紹介しますね。


出身地と家族構成|商社勤務の父とモダンな暮らし

小松暢さんの出身地は、大阪府大阪市。
1918年生まれで、後に『アンパンマン』でおなじみのやなせたかしさんの奥さんになる方ですね。

実は小松さんのお父さん、めちゃくちゃすごい人なんです!
彼の名前は池田鴻志さんで、なんと高知県出身で、当時「鈴木商店」っていう超大手商社に勤めていました。
この鈴木商店、戦前では日本を代表する企業で、砂糖やビール、製粉などなんでも手がけていたんですよ。

そんな家に生まれた小松さんは、幼い頃から毛皮のコートを着るような“モダンガール”。
当時としてはとっても裕福な家庭に育ったんですね。
父親は仕事柄、いろんな土地を転々としていたけれど、家庭内でも教育を大切にしていたことがうかがえます。

小松暢さんの人生は、そんな父の影響も大きかったのかも。
次は、彼女の学生時代についてお話ししますね。

学歴は阿部野高等女学校|韋駄天おのぶの学生時代

小松暢さんが通っていた学校は、現在の「大阪府立阿倍野高等学校」。
当時は「阿部野高等女学校」っていう名前でした。ここって、今でも偏差値55くらいの進学校で、しっかりした教育が受けられる場所なんです。

女学校時代の小松さんは、ただのお嬢様じゃなかったんですよ。
なんと「韋駄天(いだてん)おのぶ」っていう異名を持ってたほど、足が速かった!
韋駄天って、仏教用語で“ものすごく走るのが速い神様”のこと。
それだけ活発で運動神経が良くて、エネルギッシュな子だったってことですね。

当時の女性で女学校まで進学するって、かなり裕福な家庭でないと難しかった時代。
それを考えると、小松さんが教育面でも恵まれていて、自分の個性をしっかり発揮できる環境にいたのがよくわかります。

おとなしくしてるタイプじゃなくて、男勝りでバリバリ行動派な学生だったんですね。
そんな彼女が、どんなふうに仕事を始めたのか…次でご紹介します!

新聞記者としてのキャリア|高知新聞社での活躍ぶり

小松暢さんが新聞記者としてのキャリアをスタートさせたのは、戦後すぐの1946年。
なんと、応募者31人の中から選ばれた最初の女性記者2名のうちのひとりだったんです!

配属先は「高知新聞社」。
ここで『月刊高知』という雑誌の編集を担当することになります。
彼女はすごく行動的で、ジープを乗り回しながら焼け野原を駆け回って取材してたらしいんですよ。
まさに、パワフルでカッコいいってこのこと!

当時はまだまだ女性が社会で活躍するのが難しい時代。
でも、小松さんは「女だから」って下に見られることを一切許さなかったんです。
雷が鳴ったら「もっと鳴れ!」って言うくらい強気で、取材でナメられたらバッグを投げて「払うもん払いなさいよ!」って一喝することもあったそう。

そんな男前なエピソードがいっぱい残ってるから、記者仲間の中でもかなり目立つ存在だったみたいです。
さて、そんな彼女が運命の相手と出会ったのも、この職場なんですよ。

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やなせたかしの妻・小松暢|再婚の背景とふたりの関係

やなせたかしさんと小松暢さん、じつは“初婚同士”じゃなかったんです。
特に小松さんは、戦争によって最初の夫と死別するというつらい経験をしています。
そんな過去を乗り越えた先に出会ったのが、のちに「アンパンマン」を生み出すやなせさんだったんですね。
ここでは、小松さんの再婚までの経緯と、やなせさんとのあたたかい夫婦関係について紹介していきます。


最初の結婚と夫の戦死|小松総一郎との出会いと別れ

小松暢さんの最初の結婚相手は、小松総一郎さんという方。
職業は日本郵船の社員で、出会いは上京後のことだったそうです。
小松さんの父と同じく高知県出身という共通点もあって、すぐに意気投合したんでしょうね。

でも結婚して間もなく、戦争の波がふたりを引き裂きます。
夫の総一郎さんは徴兵されて戦地に行き、そのまま帰還後に病死。
小松さんは若くして未亡人になってしまったんです。

このとき、小松さんは高知県に疎開していたため、夫の死を故郷で静かに受け止めることに…。
ちなみに「小松」という苗字は、この最初の夫の姓を引き継いで使っていたんですよ。

この悲しい経験が、小松さんをより強く、しなやかに成長させたのかもしれません。
そしてその後、彼女は再び愛に出会うことになります。次でご紹介しますね。

やなせたかしとの出会い|高知新聞社での運命の再会

小松暢さんとやなせたかしさんの出会いは、まさに運命的でした。
1946年、小松さんが高知新聞社に記者として入社してから約3ヶ月後、やなせさんが同じ編集部に配属されてきたんです。

ふたりの机は向かい合わせで、やなせさんはすぐに小松さんに一目惚れ。
当時の小松さんは、美人でキリッとした雰囲気の“快活な女性”だったそうで、「色白でかよわそうに見えるけど、実はバリバリの体育会系」だったとか。

しかも、雷が鳴ると「もっと鳴れ!」って笑うほどの肝っ玉ぶり。
そんな小松さんの姿に、やなせさんは完全に心を奪われたみたいです。

一方で、小松さんもやなせさんの穏やかで優しい性格に惹かれていったんですよね。
実は最初に「好き」と言ったのは小松さんのほうだった、という説もあるんです!

だけど、ふたりの関係は順風満帆とはいかず…。
なんと小松さんは、ある日突然「代議士の秘書になる」と言って高知新聞社を退社し、東京へ行ってしまいます。
やなせさんはふられたと思ってショックを受けますが、後を追って上京し…というストーリーが展開します。

再婚と夫婦の生活|“なんとかなるわ”で支えた人生

東京に上京した小松暢さん。
その1年後、やなせたかしさんも「どうしても忘れられない」と彼女を追いかけるように東京へ。
そして再会したふたりは、ついに再婚というかたちで結ばれることになります。

やなせさんは当時まだ漫画家としては無名で、収入も不安定。
そんな彼に、小松さんが言った言葉があまりにも名言すぎるんです。

「なんとかなるわ。私が働いて食べさせるから」

この一言、しびれませんか?
実際、やなせさんは「仕事以外のすべてをカミさんに頼っていた」と後に語っていて、小松さんが精神的にも実生活的にも完全に支えていたことがわかります。

夫婦仲はとてもよく、家では「おぶちゃん」と呼ばれていた小松さん。
ふたりには子供はいませんでしたが、「アンパンマンが私たちの子ども」だと語っていたのがまた素敵ですよね。

やなせさんが「逆転しない正義」としてアンパンマンを描いた背景には、小松さんの言葉がありました。
「飢えて死にそうな人がいたら、一切れのパンをあげること。それが正義なのよ」

その言葉は、まさにアンパンマンの魂そのものなんです。

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「アンパンマン」の妻モデル!小松暢が朝ドラ『あんぱん』に

小松暢さんは、ただの“やなせたかしの妻”というだけじゃなく、あの国民的ヒーロー「アンパンマン」の誕生を支えたリアルなモデルでもあるんです。
さらにその生き方が、2025年前期のNHK朝ドラ『あんぱん』のヒロインの元にもなっているって、もう感動しかないですよね。
ここでは、ドラマ化された背景や、実際の夫婦の絆について掘り下げていきます!


朝ドラ『あんぱん』ヒロインのモデルとして注目

NHKの朝ドラ『あんぱん』は、小松暢さんとやなせたかしさんの半生をベースに描かれた作品。
ヒロイン「朝田のぶ」はまさに小松さんがモデルで、演じるのは女優の今田美桜さんなんです!
やなせさん役には北村匠海さんが決定していて、ビジュアル的にもお似合いって話題になってます。

ドラマの中でも、「韋駄天おのぶ」と呼ばれる活発な学生時代や、戦争を乗り越えて再婚するまでの人生、やなせさんを支える強い妻としての姿が丁寧に描かれる予定です。
リアルをベースにしたフィクションとはいえ、実際のエピソードが多く盛り込まれているので、ドキュメンタリーのような感動があるかも。

では次に、その“リアルアンパンマン夫妻”の象徴的なエピソードを紹介しますね。

リアルアンパンマンとの絆|2人の子はアンパンマン

やなせたかしさんと小松暢さん夫婦には、子どもはいませんでした。
でもふたりがよく語っていたのが、「アンパンマンが私たちの子ども」という言葉。
このセリフ、もう涙なしでは語れませんよね…。

アンパンマンって、「飢えている人に自分の顔=パンをちぎって分け与える」正義の味方。
この“自己犠牲の精神”って、実は小松さんの言葉がヒントになってるんです。

「正義はときどき逆転してしまう。でも、逆転しない正義がある。それは飢えた人にパンをあげることよ」

この言葉にやなせさんはめちゃくちゃ感銘を受けて、アンパンマンを描くきっかけになったとも言われています。
だからこそ、小松さんはアンパンマンというキャラクターの“もう一人の生みの親”といっても過言じゃないんです。

そして、「自分たちには子どもはいないけど、アンパンマンという存在が私たちの子ども」と語るふたりの姿が、ほんとに温かくて…。
そんな想いがあってこそ、アンパンマンがこんなに長く愛される存在になったんだなぁって思いますよね。

感動の名言と晩年|「一切れのパンをあげる正義」

晩年の小松暢さんは、乳がんを患いながらも前向きに生き続けました。
1993年11月22日、「いい夫婦の日」に75歳で亡くなりました。
その日まで、やなせたかしさんと仲睦まじく過ごし、最後の最後まで“支え合う夫婦”だったんです。

とくに胸を打たれるのが、小松さんが残した「正義」に関する名言。

「正義はときに逆転する。だけど、飢えている人に一切れのパンをあげること、それだけは揺るがない正義よ。」

これ、ただの理想論じゃないんですよ。
戦争を経験し、愛する人を亡くし、女性記者として活躍し、再婚して夢を追う夫を支えた彼女だからこそ言える“重みのある言葉”なんです。

そしてやなせさんもその言葉に深く共感し、アンパンマンという作品に“揺るぎない正義”を込めて描き続けました。
それってもう、ふたりが一緒に生んだ“愛の結晶”みたいなものだと思いませんか?

ふたりの間に子どもはいなくても、その生き方や考え方が、今の子どもたちの心に届いている。
そう思うと、ほんとに素敵な夫婦だったなって感じますよね。

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今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。

・小松暢さんは大阪生まれで、女学校を卒業後に新聞記者として活躍
・最初の夫とは戦争で死別し、その後やなせたかしさんと再婚
・高知新聞社での出会いが、ふたりの人生を大きく動かすきっかけに
・「なんとかなるわ」「パンをあげる正義」など名言多数の芯のある女性
・アンパンマンはふたりにとって「子ども」のような存在
・2025年の朝ドラ『あんぱん』でその生涯がモデルとして描かれる

小松暢さんって、ただの“漫画家の奥さん”ではなく、ひとりの人生を力強く、自由に生きた素敵な女性だったんですね。
戦争や貧困、社会の壁を乗り越えながらも、前向きで美しく、何より“人を支える優しさ”を持っていた人。

この記事を読んで、「アンパンマン」の意味がもっと深く感じられた…そんな人もいるんじゃないかなって思います。
もし興味が湧いたら、朝ドラ『あんぱん』や、やなせさんの本もぜひチェックしてみてくださいね!

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